郡山-矢田坐久志玉比古神社
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「やたにいますくしたまひこじんじゃ」です。(平仮名ばっかりっていうのもまた読みにくいもんです)
正面にデンと掲げられているのは、源田実が奉納した旧陸軍九一式戦闘機のプロペラ。
中島飛行機ですね。スバル360のご先祖。いやスバル360自体が今やもうご先祖様か
(^人^)
祭神の櫛玉饒速日神(くしたまにぎはやひのかみ)が天磐船(あまのいわふね)に乗って空から降りてきたということで、航空関係の方々の崇敬を集めるようになりました。
鬼瓦が据えられているなど、どうも神社らしくないな~などと思って見ていましたが、
宮司さん(?)の解説によると、江戸時代は 矢田寺ともう一つのお寺(忘れた
)の僧侶が交代で神事を司っており、この楼門はどこかの寺で使われていた材を使って建てられたのではないか、とのことです。
神社庁から派遣されてきたたという宮司さんは、どうもこの楼門の彫物の由来などには興味が無さそうな印象を受けました。
江戸時代は神社は寺より立場が低かったと聞いたことがある。明治政府の政策により立場は逆転というより、寺はひどく困難な状況に立たされることになった。
住職や神職の話を聞いてると、いまだにどちらにもわだかまりがあるように感じることが多々あります。
真ん中は神様が通るところなので、お参りする時は両端を歩くものだとか。聞いたことがあるような無いような・・・。
足留めの願掛けだそうで、これも聞いたことがあるような・・・1回くらい聞いても記憶の回路になかなか保存されない。もしくは頭の中のそのファイルの在り処がわからない。2回3回と聞いてやっと頭に残ったり残らなかったり。
ま、聞いたこと全部残っていてすぐにそのファイルを開くことが出来るようなら、今とは違った人生を歩んでたと思いますけど。
本殿の画像はありません。残念ながら不敬な不届き者とマムシが多いので、その近くは立ち入り禁止にされてるそうです。
*
妻の換気口は、
小波トタンにコールタール(?)塗っても、「水」は省略できない大事なことなんです。
神社に鬼瓦があったから、もしかしたらご近所に鍾馗さんがいたかもしれませんねぇ。
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そこから矢田丘陵のゆるい坂を上っていった田んぼの中にあるのは、
知りませんでした。
日本に数ある「わが町こそ邪馬台国」という候補地(?)がここにもありました。
そういえば今は亡き(芸能界には)K岡R太郎氏が愛読したという古田武彦著「邪馬台国は無かった」っていう本をもう何年も前に古本サイトで買うたが、あれは何処にしまいこんだのやら? まだ読んでないし・・・
一見、古代から戦国時代までの大和盆地の権力者の栄枯盛衰も、すぐその丘の麓まで押し寄せてる現代の資本主義の開発・都市化の波なども我関せずと思わせるような佇まいです。
ここから丘を越えて大和民俗公園へ・・・・・。
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